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ボスニア・ヘルツェゴビナ〜その後


ヨーロッパの南西に位置する旧ユーゴスラビア連邦で、1992年に独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴビナ。ここには民族系統もほとんど違わないボスニア人・クロアチア人・セルビア人たちが住んでいました。

1994年の中頃、この国に住むセルビア人が突然ボスニア・ヘルツェゴビナから独立を宣言し、彼らにとって異宗教であるイスラム教を排除し、首都サラエボを含む大部分の地域を武力によって支配下に置きました。

街にはセルビア兵士が進入し、建物はめちゃめちゃに破壊され、略奪を受け、火を放たれた。そしてイスラム教徒は追い出され、男性は拷問され、女性は強姦された上、殺された。ボスニアの紛争で強姦され、生きながらえたた女性(子供を含む)は2万人に上るという。その一人の女性は語る。

痛みが私の心を包む

私は今どこにいるのか、以前どこにいたのか

もはや喜びを感じる事はない

過去と苦しみ、それだけだ

私が残したものは

また、子供たちも同様、死と隣り合わせで生活を送っており、この恐怖の中で生きる希望を失っている子供たちが多数いる。子供たちは、戦時下の中で死を覚悟して、大砲や狙撃兵の弾丸をよけながら登校しています。しかし、それでも毎日数人の子供たちは殺されています。

ユニセフの調査によると、「砲弾が至近距離で爆発する経験をした」(97.3%)という経験をしており、それによって「自分が殺されるかもしれないと思った」(65.5%)「(紛争開始からこれまで)飢えで死ぬかと思った」(43%)「生きていく価値がない」(53%)と言っています。子供たちの間にも失望感が漂い、ショッキングな経験を思い出す事を避けるために心を閉ざしてしまっています。「この事は、本人が成長してからさまざまな形で問題になり、その国の発展を阻害し、彼らを戦闘へと駆り立てるのです」とユニセフの児童心理学者は警告する。

紛争は今年、ひとまず収まり、国連による民族共同の総選挙が行われたが、人々が心に負った深い傷は簡単には癒せない。紛争が起こるしくみは完全に断ち切れていないのである。


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