大国によって引き起こされたカンボジアの惨状
カンボジアを含むインドシナ半島諸国(他にベトナム・ラオス)は、17世紀頃フランスの植民地下に入り、冷戦時代はアメリカ・ソ連の対立によって起こったベトナム戦争によって両国が軍事介入をし、多くの市民が虐殺に巻き込まれました。その時、多くの対人地雷がばらまかれ、今なおその悲劇は続いています。
ベトナム戦争期の混乱によって、カンボジアでは多くの人が虐殺されました。そして、戦後も国内の情勢が安定せずに内戦が多発し、それにも多くの市民が巻き込まれました。
カンボジアは元々モンスーン気候に位置し、農業生産をするには恵まれている土地なのですが、これらの戦乱で多くの男性が犠牲になった為に、現在カンボジアでは社会を支えていく、労働力豊かな男性の人口が極めて少ないのです。農村に働き盛りの男性が少なく戦後の復興もままなりません。
戦乱による社会的基盤の崩壊によって、多くの教育機関も同様に荒廃しています。 また、女性が子供たちを支えるために働いている例が数多く見られます。女性は、子供たちの教育にとって大きな役割を果たしているといいますが、その母親が子供たちの面倒を見る事もできず、生活を支えるために働き、結果として子供たちを学校に行かせる事もできないのです。
この国で母親の識字率は38%と低く、衛生知識も行き届きません。
社会的基盤の遅れによって、飲料水は糞尿で汚れた河川から取り入れる事が多く、一旦子供たちが下痢にかかったら、母親は子供にどうしてやる事もできずに死なせてしまう事が多いのです。
母親に栄養摂取の知識がないために子供達の栄養が偏っており、体の弱った子供達には下痢は致命的なダメージとなり、治療の方法も母親の間に知り渡って居ない為に、多くの子供達が死んでいくのです
そして、今なおカンボジアの全土に地雷が残されており、その数はおよそ1000万個ともいわれており、これはカンボジアの国民1人に1個づつに当たります。この膨大な数の地雷は、内戦が終わってかなり経った今でも手つかずの状態です。皮肉なことに3ドル以下で製造できる地雷を1つ探し出し撤去するのには1000ドルかかるといわれており、すべての地雷を撤去するには膨大な予算がかかると見られています。
日常生活では、農作業をしているときに地雷が爆発して足を失ったり、命を落としたりする人が後を絶えず、国民236人に1人は下半身を失っていると言われています。